駐在員の生活

ロンドン駐在員が紹介~イギリスあるある~イギリスってこんな国です

どうも、ロンドン駐在員のぷーたです。
今回の記事は、次のような方の疑問を解決するために書いています。

  • イギリスでの日本人の感じる「あるある話」を教えてほしい
  • イギリスに駐在して困ったことって何?
  • イギリスってどんな国なのか教えてほしい!

イギリスってどんな国?

月並みではありますが、まずはイギリスってどんな国?ということについて説明してみます。そんなの興味ないよ!という方はこちらをクリックして「あるある話」に飛んでください。

イギリスの基本情報

地理と気候

イギリスはヨーロッパ北西部に位置し、グレートブリテン島にあるイングランド・スコットランド・ウェールズの3つの国とアイルランド島にある北アイルランドの4つの国からなる連合王国です。気候は温暖湿潤で、年間を通じて雨が多く、天候は変わりやすい特徴があります。ロンドンでは夏の気温は25度くらい、冬は5度くらいですが、北緯51度というアジアであればサハリンやカムチャッカ半島と同じ緯度を考えると、とても温暖な気候と言えます。

人口と言語、人種

イギリスの総人口は約6,700万人で、ロンドンには約900万人が住んでいます。公用語は英語ですが、ウェールズのウェールズ語やスコットランド・北アイルランドではゲール語も使用されています。多文化社会であり、多様な言語が飛び交っています。

イングランドとウェールズのみの集計となりますが、2021センサス( England and Wales 2021 Census)によれば81.7%が白人で、9.3%がアジア人、4%が黒人となっています。

 

過去10年ごとの推移では、2001年には白人が91.3%だったのが81.7%まで落ちており、一方でアジア人が4.4%→9.3%に増えているのが目立ちます。Population of England and Wales より

白人優勢かと思いきや、ロンドンでは白人が53.8%まで落ち、アジア人20.7%、黒人13.5%とイギリス全体と比べて差が出ています。やはり都市部では様々な人種がいるということですね。私の住むイーリングでも、白人ばかり見かけるということはまったくなく、様々な人種の方を見かけます。

Regional ethnic diversityより

歴史

イングランドの歴史は1066年から始まると学校では教えられますが、それ以前からも多くの民族の支配を受けていました。以下、概説します。

古代

ケルト時代(紀元前700年頃 – 紀元後43年)

イギリスの歴史は、ケルト人の定住から始まります。ケルト人は、鉄器時代にブリテン島に到来し、さまざまな部族を形成しました。彼らの社会は戦士階級、農民、そしてドゥルイドと呼ばれる宗教指導者を中心に組織されていました。

ローマ時代(43年 – 410年)

紀元43年に、ローマ帝国はクラウディウス皇帝の指揮のもと、ブリテン島を征服し始めました。ローマ人は道路、都市、要塞を建設し、ローマ文化と技術を広めました。ローマの支配は約400年間続きましたが、410年には帝国の衰退によりローマ軍が撤退し、ブリテン島は再び独自の道を歩むこととなります。

中世初期

アングロサクソン時代(410年 – 1066年)

ローマ人の撤退後、ブリテン島はアングル人、サクソン人、ジュート人といったゲルマン系部族の侵入を受けました。彼らは徐々に島全体に広がり、複数の王国を形成しました。これらの王国の中でも、ノーサンブリア、マーシア、ウェセックスが特に強力でした。9世紀には、デーン人(バイキング)の襲撃が激化し、イングランド全土が混乱に陥りました。

アルフレッド大王は、これらの侵略に対抗するために重要な役割を果たしました。彼はデーン人と戦い、ウェセックス王国を守り、最終的にはイングランドの統一を目指しました。アルフレッドの後継者たちはその努力を継続し、927年にはアゼルスタン王の下で初めてイングランドが一つの王国として統一されました。

中世

ノルマン・コンクエスト(1066年)

1066年、ノルマンディー公ウィリアム(ウィリアム征服王)がヘイスティングズの戦いでアングロサクソン王ハロルド2世を破り、イングランドを征服しました。この出来事はイギリスの歴史における大きな転換点であり、ノルマン人の支配が始まりました。ウィリアム1世は封建制度を確立し、ドゥームズデイ・ブックを作成して土地所有の状況を詳細に記録しました。

中世後期(1066年 – 1485年)

ノルマン人の支配は、イングランドに多くのフランス文化と制度をもたらしました。その後の王たちの統治により、イングランドは内戦や権力闘争を経験しました。特に有名なのは、13世紀のマグナ・カルタ(1215年)の制定であり、これは王権の制限と貴族の権利の保証を定めたものでした。

14世紀には黒死病がヨーロッパ全土を襲い、イングランドでも人口の大部分が失われました。さらに、15世紀には薔薇戦争(1455年 – 1487年)が勃発し、ランカスター家とヨーク家の間で王位を巡る激しい争いが続きました。最終的に、ヘンリー・テューダー(ヘンリー7世)が勝利し、テューダー朝が成立しました。

16世紀 – 17世紀:テューダー朝とステュアート朝

テューダー朝(1485年 – 1603年)

ヘンリー7世によるテューダー朝の成立は、薔薇戦争の終結とともにイングランドに安定をもたらしました。ヘンリー8世(在位:1509年 – 1547年)は、宗教改革を推進し、カトリック教会から離れてイングランド国教会を設立しました。エリザベス1世(在位:1558年 – 1603年)の治世は、イングランドのルネサンス文化と経済的繁栄の時代であり、スペイン無敵艦隊の撃退(1588年)などもありました。

ステュアート朝(1603年 – 1714年)

エリザベス1世の死後、ステュアート朝が成立し、ジェームズ1世(在位:1603年 – 1625年)が即位しました。彼の後継者チャールズ1世(在位:1625年 – 1649年)の専制政治に対する反発から、1642年に清教徒革命(イングランド内戦)が勃発しました。オリバー・クロムウェル率いる議会派が勝利し、チャールズ1世は処刑され、イングランドは共和制となりました(1649年 – 1660年)。しかし、クロムウェルの死後、王政復古が行われ、チャールズ2世(在位:1660年 – 1685年)が即位しました。

1688年の名誉革命により、ジェームズ2世が追放され、ウィリアム3世とメアリー2世が共同統治者として即位しました。この革命は、議会の権力を強化し、王権の制限を確立する契機となりました。

1707年にはスコットランド王国とイングランド王国が合併し、グレートブリテン連合王国が成立しています。また、1801年にはグレートブリテンおよびアイルランド連合王国が成立しています。

18世紀 – 19世紀:産業革命と帝国の拡大

産業革命(18世紀後半 – 19世紀)

18世紀後半から始まった産業革命は、イギリスを世界の工業化の中心に押し上げました。蒸気機関や機械化による生産性の向上が経済成長を促し、都市化が進行しました。鉄道や運河の建設により、国内外の貿易が拡大し、ロンドンは世界の金融中心地となりました。

大英帝国の拡大

19世紀は、イギリスの植民地拡大と帝国主義の時代でもありました。ビクトリア女王(在位:1837年 – 1901年)の治世において、大英帝国はその絶頂期を迎えました。インド、アフリカ、アジアなどに広がる植民地は「日の沈まない帝国」と称されました。この時期のイギリスは、世界貿易と海軍の覇権を握り、政治的にも経済的にも国際的な影響力を持ちました。

20世紀:戦争と社会変革

第一次世界大戦(1914年 – 1918年)

第一次世界大戦では、イギリスは連合国の一員として戦い、多大な犠牲を払いました。この戦争は社会に大きな変革をもたらし、女性参政権の拡大や労働運動の活発化を促しました。

第二次世界大戦(1939年 – 1945年)

第二次世界大戦では、ウィンストン・チャーチル首相の下でナチス・ドイツと戦い、連合国の勝利に貢献しました。戦後、イギリスは戦時の負債と経済的困難に直面しましたが、1948年には国民保健サービス(NHS)の創設など、福祉国家の基盤を築きました。

脱植民地化と現代

戦後の脱植民地化により、大英帝国は次第に縮小しました。1950年代から60年代にかけて、多くの植民地が独立しました。1973年、イギリスは欧州共同体(後の欧州連合)に加盟しましたが、2016年の国民投票でEU離脱が決定し、2020年に正式に離脱しました(ブレグジット)。

文化

文学

中世文学

イギリス文学の歴史は、中世の叙事詩『ベーオウルフ』に遡ります。この作品は、古英語で書かれた最も重要な作品の一つであり、英雄ベーオウルフの冒険を描いています。14世紀には、ジェフリー・チョーサーが『カンタベリー物語』を執筆し、英語文学の発展に大きく貢献しました。

ルネサンス文学

16世紀から17世紀にかけてのルネサンス期には、ウィリアム・シェイクスピアが登場し、戯曲や詩を通じて英語文学に革命をもたらしました。彼の代表作には『ハムレット』『ロミオとジュリエット』『マクベス』などがあります。また、クリストファー・マーロウやベン・ジョンソンもこの時期の重要な劇作家です。

17世紀から18世紀

17世紀のイギリス文学は、ジョン・ミルトンの叙事詩『失楽園』が特筆されます。18世紀には、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』やジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』などの小説が登場し、リアリズム文学の先駆けとなりました。

19世紀

19世紀のイギリス文学は、ヴィクトリア朝文学の黄金時代とされ、多くの著名な作家が活躍しました。ジェーン・オースティンは『高慢と偏見』や『エマ』などの作品で知られ、チャールズ・ディケンズは『オリバー・ツイスト』や『大いなる遺産』などの社会批判小説を執筆しました。また、シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』やエミリー・ブロンテの『嵐が丘』もこの時代の重要な作品です。

20世紀から現代

20世紀には、モダニズムの潮流が文学に大きな影響を与えました。ジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』やヴァージニア・ウルフの『灯台へ』がその代表作です。また、ジョージ・オーウェルの『1984年』やオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』などのディストピア文学も重要な位置を占めます。現代では、J.K.ローリングの『ハリー・ポッター』シリーズが世界的に大ヒットし、若者向けファンタジー文学の新たな潮流を築きました。

芸術

中世からルネサンス

中世のイギリス美術は、主に宗教的なテーマを扱ったものが多く、教会の装飾や写本の挿絵が重要な役割を果たしました。ノルマン征服後の11世紀には、バイユー・タペストリーが制作され、ウィリアム征服王のイングランド征服を描いています。

16世紀から17世紀

ルネサンス期のイギリス美術は、ヨーロッパ大陸の影響を強く受けました。ハンス・ホルバインやアンソニー・ヴァン・ダイクといった外国人画家がイギリス宮廷で活躍しました。彼らの肖像画は、当時の貴族や王族の姿を鮮明に伝えています。

18世紀

18世紀には、イギリス独自の美術が発展しました。ウィリアム・ホガースは、風刺画や連作絵画で知られ、社会批判を込めた作品を多数制作しました。また、トーマス・ゲインズバラやジョシュア・レノルズといった肖像画家もこの時期に活躍しました。

19世紀

19世紀のイギリス美術は、ラファエル前派の台頭が特徴です。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティやジョン・エヴァレット・ミレーらは、中世やルネサンスの美術に回帰し、細部にこだわった繊細な作品を制作しました。また、J.M.W.ターナーは風景画に革命をもたらし、印象派の先駆けとされています。

20世紀から現代

20世紀のイギリス美術は、モダニズムとともに多様化しました。ヘンリー・ムーアの彫刻やフランシス・ベーコンの絵画は、国際的に高く評価されています。また、1960年代のポップアート運動では、デイヴィッド・ホックニーがその代表的な存在として知られています。現代においても、イギリスの芸術家たちは多様なスタイルと手法で国際的なシーンで活躍しています。

音楽

中世からルネサンス

中世イギリスの音楽は、宗教的なグレゴリオ聖歌が中心でした。15世紀から16世紀にかけては、ジョン・ダンスタブルなどの作曲家が現れ、ポリフォニー音楽が発展しました。ルネサンス期には、トマス・タリスやウィリアム・バードが活躍し、教会音楽や世俗音楽が豊かに彩られました。

バロックからクラシック

17世紀後半には、ヘンリー・パーセルが登場し、オペラや劇付随音楽で名声を得ました。18世紀には、イギリスはゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルのような外国人作曲家を迎え、バロック音楽が栄えました。

19世紀から20世紀初頭

19世紀には、イギリス民謡の再発見が進み、エドワード・エルガーやラルフ・ヴォーン・ウィリアムズなどの作曲家が現れました。彼らは民謡の要素を取り入れつつ、交響曲や室内楽を発展させました。

20世紀後半から現代

20世紀後半には、イギリスの音楽シーンはポップスやロックの分野で世界的に注目されました。ビートルズやローリング・ストーンズは、1960年代の「ブリティッシュ・インヴェイジョン」としてアメリカを中心に大きな影響を与えました。1970年代以降は、クイーン、デヴィッド・ボウイ、エルトン・ジョンなどのアーティストが国際的に成功しました。また、ブリットポップと呼ばれる1990年代の音楽ムーブメントでは、オアシスやブラーが注目を浴びました。

スポーツ

サッカー

サッカーは、イギリスで最も人気のあるスポーツであり、現代サッカーの起源もイギリスにあります。19世紀半ばに、最初の公式ルールがケンブリッジ大学で策定され、1863年にイングランドサッカー協会(FA)が設立されました。プレミアリーグは、世界で最も視聴されているリーグの一つであり、マンチェスター・ユナイテッド、リヴァプール、チェルシーなどのクラブが国際的に有名です。

ラグビー

ラグビーもまた、イギリスで発展したスポーツです。1823年、ラグビースクールでウィリアム・ウェブ・エリスがボールを手に持って走ったことがきっかけで始まったとされています。ラグビーには、ラグビー・ユニオンとラグビー・リーグの二つの形式があり、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドがそれぞれ強豪チームを持っています。

クリケット

クリケットは、16世紀にイングランドで始まりました。18世紀後半から19世紀初頭にかけて、クリケットはイギリスの国民的スポーツとなり、現在もイングランド・クリケットチームは世界的な強豪です。特に、イングランドとオーストラリアの間で行われる「アッシュズ」シリーズは、クリケット界で最も有名な対戦の一つです。

テニス

テニスもまた、イギリスと深い関係があります。ウィンブルドン選手権は、1877年に初めて開催され、現在も最も権威あるテニス大会の一つとされています。ウィンブルドンは、グラスコート(芝生コート)で行われる唯一のグランドスラム大会として知られています。

サッカー、クリケット、ラグビーが主要なスポーツです。プレミアリーグやウィンブルドンといったイベントは世界中から注目を集めています。

食文化

伝統料理

イギリスの伝統料理は、シンプルで家庭的なものが多いです。代表的なものには、日曜日のロースト(サンデーロースト)があり、ローストビーフ、ポテト、野菜、ヨークシャープディング、グレイビーが一般的です。フィッシュ・アンド・チップスも国民食として有名で、白身魚を衣で揚げたフィッシュと揚げたポテトの組み合わせです。

朝食とパイ

イングリッシュブレックファストは、ボリュームのある朝食として知られ、ベーコン、ソーセージ、卵、ベイクドビーンズ、トマト、マッシュルーム、ブラックプディングなどが含まれます。また、パイもイギリスの食文化に欠かせません。シェパーズパイ(マッシュポテトで覆ったミートパイ)やステーキ&キドニーパイ(牛肉と腎臓のパイ)はその代表例です。

紅茶文化

イギリスの紅茶文化も特筆すべき点です。アフタヌーンティーは、19世紀にアンナ・マリア・ラッセルが広めた習慣で、サンドイッチ、スコーン、ケーキとともに紅茶を楽しむものです。また、紅茶にミルクを加える「ミルクティー」もイギリス特有のスタイルです。

多文化の影響

イギリスの食文化は、歴史的な植民地時代や移民の影響を強く受けています。特にインド料理は人気が高く、チキンティッカマサラは「イギリスの国民食」と称されるほどです。中華料理やイタリア料理、カリブ料理なども広く普及しており、イギリスの食文化は多様化しています。

経済

イギリスの経済

イギリスの経済は、世界でも有数の規模を誇る先進経済国であり、国際的な影響力を持っています。歴史的には、18世紀後半から19世紀にかけての産業革命を経て、工業化が進み、イギリスは「世界の工場」としての地位を確立しました。20世紀初頭には、世界最大の植民地帝国を背景にした貿易と資源の流入が経済を支えていましたが、二度の世界大戦と脱植民地化の影響で経済は一時的に停滞しました。

現代のイギリス経済は、サービス業が主導しており、特に金融サービスが中心です。ロンドンはニューヨークと並び、世界の金融センターの一つとして機能し、銀行業、保険業、資産運用業などが集中しています。イギリスはまた、多国籍企業の本拠地でもあり、国際貿易においても重要な役割を果たしています。EU離脱(ブレグジット)後、イギリスは新たな貿易協定の締結や国内経済の再構築に取り組んでいます。

労働市場は多様で、高い教育水準を背景にハイテク産業やサービス業での雇用が多い一方、地域間の経済格差や労働市場の柔軟性の課題も存在します。持続可能な成長を目指し、再生可能エネルギーや環境保護政策の推進、デジタル経済と技術革新にも力を入れています。

イギリスの主要産業は金融、製造業、サービス業です。ロンドンは世界有数の金融センターであり、経済は多様で強力です。主要な貿易相手国はEU諸国やアメリカです。

通貨

イギリスの通貨はポンド・スターリング(£)です。国際的な通貨としても広く使用されています。

観光

歴史的名所

ロンドンは、イギリス観光の中心地です。バッキンガム宮殿、ビッグベン、ロンドン塔、ウェストミンスター寺院などの歴史的建造物が数多くあります。大英博物館やナショナルギャラリーなどの美術館・博物館も充実しており、貴重な芸術作品や歴史的遺産を鑑賞することができます。

自然景観

イギリスには、湖水地方やコッツウォルズなど、美しい自然景観が広がる地域があります。湖水地方は、詩人ウィリアム・ワーズワースが愛した風光明媚な地域で、ハイキングやボート遊びを楽しむことができます。コッツウォルズは、石造りの家々と緑豊かな丘陵地帯が特徴で、典型的なイングランドの田園風景が広がります。

文化都市

エディンバラやオックスフォード、ケンブリッジなどの都市も観光の魅力に富んでいます。エディンバラは、エディンバラ城やホリールード宮殿がある歴史的な街で、毎年夏に開催されるエディンバラ・フェスティバルは世界的に有名です。オックスフォードとケンブリッジは、世界的に名高い大学都市であり、美しいカレッジの建物や古書店が観光客を引きつけます。

伝統文化

イギリスの伝統文化も観光の魅力の一つです。アフタヌーンティーやパブ文化は、訪れる観光客にとって特別な体験となります。また、イギリス各地で開催されるマーケットやフェスティバルも、地元の文化を体験する絶好の機会です。

ロンドンのビッグ・ベンやバッキンガム宮殿、エディンバラの古城、ストーンヘンジ、湖水地方など、多くの観光名所があります。それぞれが独自の歴史と魅力を持っています。

交通手段

主要な空港や発達した鉄道網を持つイギリスは、国内外からのアクセスが便利です。都市部ではバスや地下鉄が広く利用され、移動が容易です。

社会とライフスタイル

社会構造

イギリスの社会は、多様な背景を持つ人々から構成されています。歴史的に、階級社会として知られており、貴族、中流階級、労働者階級といった社会階層が存在しました。近年では、この階級の境界は薄れつつありますが、教育や職業選択において依然として影響を及ぼしています。イギリスの教育制度は、私立学校(パブリックスクール)と公立学校に分かれており、オックスフォード大学やケンブリッジ大学などの名門大学が存在します。

家族とライフスタイル

家族構造は、核家族が一般的ですが、シングルペアレント家庭や同性愛者の家庭も増えています。イギリス人はプライベートを重視する傾向があり、自宅で過ごす時間を大切にします。家は、リラックスする場所であり、家族や友人との交流の場としても機能します。庭を持つことが多く、ガーデニングが人気の趣味です。

仕事と余暇

イギリスの労働文化は、バランスを重視しています。典型的な労働時間は週40時間ですが、フレックスタイムやリモートワークが広がりつつあります。労働組合も強く、労働者の権利保護が重視されています。余暇の過ごし方は多様で、スポーツ観戦、特にサッカーが国民的な娯楽です。また、劇場や音楽コンサート、美術館・博物館の訪問など、文化的な活動も盛んです。

社会福祉

イギリスは、充実した社会福祉制度を持っています。1948年に設立された国民保健サービス(NHS)は、全ての国民に無料で医療サービスを提供しています。これにより、医療へのアクセスが保障され、国民の健康が支えられています。また、年金制度や失業保険、住宅補助なども整備されており、社会的なセーフティネットが確立されています。

イギリスあるある話

今まではイギリスの表向きの話を述べてきましたが、ここからが今回の記事の本題で、私がロンドンに駐在して感じた日本人の感じる「あるある話」をしてみたいと思います。

冬が長く・暗く・寒く・湿っている

まずはイギリスの冬について語りたいと思います。何と言っても冬が長い・暗い・寒い・湿っているという点です。

長い冬

イギリスの冬は長いです。私の感覚では10月~4月までが冬です。5月が春、6月~7月は夏、8月~9月が秋ですね。イギリスではサマータイムというのがあり、3月末~10月末までサマータイムということになりますが、夏を感じることは5月くらいからになると思います。

もちろんサマータイムに入ると日の入りの時間が遅くなるため、夕方が明るくはなるのですが、朝の気温は当然一桁前半ですし、5月でも最低気温は10度を下回ることがざらです。

日本人的感覚で暖かいと言えるのは5月~9月くらいだと思いますので、冬は長いといえます。

暗い冬

真冬になると、日の出は午前8時過ぎ、日の入りは午後4時前と1日の日の出~日の入りの時間が8時間を切ります。ただでさえ寒い冬で、昼の時間も短いのでつらいですね。

ビタミンDの錠剤を飲むように、と駐在時には注意されますね。ビタミンDには腸管からのカルシウム吸収を助け、カラダ作りをサポートする効果があります。このビタミンDは食品から取ることが難しく、1日30分の日光浴で必要量が生成されると言われており、東京で生活しているのであれば冬場も晴れることが多いため、それほど意識する必要はないかもしれません。

ですがイギリスの場合、冬場は太陽が出ることが少なく30分も日が出ていないことが多いですので、ビタミンDが不足します。そのため、サプリメントなどで補給する必要があります。それくらい暗い冬なのです。

寒い冬

寒さについては、北緯51度という緯度を考えるとそこまで寒くない、という意見ももちろんあるのですが、それでも寒いことは寒いです。

朝の気温は0度近く、昼は10度まで上がらないというのがロンドンの冬の通常です。これは東京の冬より朝晩が少し寒いくらいで、実はそこまで変わらないという考え方もできますが、日の出~日の入りの時間が緯度のせいで短いこと、さらに晴れる日がほとんどないことから、気温よりも寒く感じることが多いです。

湿っている冬

冬といえば雨、というくらいに雨が降ります。降る量はそこまででもないのですが、降ったりやんだりを繰り返すことが多いので、地面はいつも湿っているような状態です。

日本人的感覚では傘は手放せないのですが、現地の方は傘もささずに濡れながら歩いている方も多く、辛抱強さを感じます。ただ傘を持ち歩くのが面倒なだけかもしれませんが。

私の場合、軽量・コンパクトな折りたたみ傘を常に持ち歩いています。

道が狭い上に路上駐車だらけで苦戦

イギリスに来て車を運転すると、いたるところの道が狭いことに苦しみます。東京のように戦争で焼け野原になったところから復興したという歴史もなく、昔の区画整備がそのまま使用されているため、ということになるかと思いますが、それにしても狭い道が多いです。

加えて路上駐車の多さに辟易します。道路自体は2車線となっていても、実際は両側に路上駐車があって、1車線の幅もないような道路はしょっちゅう目にします。当然相互通行となりますので反対側から車が来ると譲り合う必要があり・・基本的には譲り合いの精神で譲り合いますが、こうした道路を運転する際には反対側から車が来るな!来るな!と念じてしまいます。

暑さ対策なし!

イギリスは基本的に寒い地域となるため、暖房に関してはかなり考慮されており家もセントラルヒーティングが完備されているなど、ガス代を気にしなければ暖かく快適に過ごすことが可能です。ガス代をケチっている我が家は冬の寒さに震えることもありますが、寒い思いをしたくなければ暖房で何とかなるのがイギリスの生活です。

ですが、夏もし暑かった場合はそうはいきません。冷房が完備されているような家はほとんどありませんので、扇風機と外気のみが涼をとるための唯一の手段であり、2022年のようにヒースローで40度を超えた、といったような事態が発生すると、どうしようもありません。

冷房のきいたカフェやレストランでのんびり過ごそうとしても、そもそも冷房がないとかケチっていてほとんど冷えていないという状況ですので、頼りになりません。
唯一の対応方法は車に乗って冷房を入れる、でしょうか。エコではないですね…。

道が水であふれる

治水に関しても疑問があるのがイギリスです。日本のように台風による大雨被害やゲリラ豪雨がないからかもしれませんが、水はけといったことを意識しているとは思えず、少し大雨が降っただけでいたるところで冠水します。

道路の脇は水たまりであふれ、歩行者の場合は車の水はね被害を受けないよう、ビクビクしながら歩きます。最近こそ川の氾濫のニュースが出ていますが、長年、それこそ1000年くらいのスパンで大きな水害がないといった地域も多いようで、気候の安定を感じます。川の堤防などもないところも多いです。

修理はまともにいかない

我が家ではロンドンに住むようになってから洗濯機や冷蔵庫、コンセント、ドアなど様々な修理をしなければならない事態に陥りましたが、どの修理もまともにいきません。エンジニアを呼ぶにも時間がかかり、やっと来てもらって修理が終わったと思ったら実は直っていないことが判明して、再度エンジニア呼ぼうとすると予約が必要で来週以降の対応となります。

それが繰り返されることで、気づいたら1ヶ月以上経過していることも…本当に困ります。日本のようなサービスを期待してはダメなのはわかりますが、サービス業がサービスとして成り立っていないような状態ですし、自分でやったほうが早いのでは?と思うことも多いですね。

英語以外の言語をよく耳にする

これはイギリスではなくロンドンといいますか、私の住むイーリング地区特有の事情かもしれませんが、町を歩く中で英語でない言語を耳にする機会が多いです。それもそのはず、School Spring Census, Jan 2021によれば、イーリング地区では60%の生徒の母国語が英語ではないということです。英語以外で多い順にパンジャブ語(インドとパキスタンにまたがる地方の言語)、アラビア語、ポーランド語、ソマリ語、ウルドゥー語となっています。

Languages spoken in Ealing
English as a first language in Primary and Secondary schools
In 2021, 60% (32,880) of pupils in Ealing schools do not speak English as their first language, with a higher proportion of English as additional language (EAL) in primary (63%) than secondary (56%). This is well above the 2020 national figures of 21% for primary and 17% for high schools. There are more than 170 different languages spoken in Ealing schools. After English, the most common languages (each with over 2000 speakers) are Panjabi (8%), Arabic (7%), Polish (7%), Somali (5%) and Urdu (4%).

Ealing JSNA 2021: Population Characteristicより引用

サービスはしてもらうもの?

日本ではサービスはしてもらうもの、お客様は神様です、といった考えがいまだに浸透しているように思われますが、イギリスではサービスは利用させてもらうもの、と理解しておいた方が精神衛生上いいことが多いです。

家族でレジャープール(子供が遊べるスライダーなどのあるプール)に行く際も、時間を指定して(枠は60分とか90分とか短い)予約し、その時間に間に合わなければ無効、といった感じです。日本でも時間制限がある場所はありますが、長い時間遊べたり、値段が安かったりしますが、イギリスでは高い上に時間を制限してきます。
病院や歯科医を予約する際には時間通りに来なければキャンセル料が取られます(しかも安くない)。予約の変更をする場合も、直前(予約の24時間以内)であればキャンセル料の対象です。

レストランでもサッカークラブでもなんでもキャンセル料の規定が書いてあって、気軽に予約ができません。ただ、日本でも大人数で予約してドタキャンしてお店に迷惑をかけるニュースを耳にすることもありますし、それくらいした方がいいのかもしれません。

医療費はタダだが予約が取れない

イギリスではNHS(国民保健サービス)があり、駐在員家族でも対象となるため医療費はタダです。ですが、GP(住居近くの町のお医者さん)での予約はともかく、総合病院のようなところでは何か月も待たないと診てもらえないということもあるようです。

そのため、プライベートの保険に入っている場合は、プライベートの病院にかかることになります。これが本当に高い!風邪をひいてコロナの検査して薬を出してもらうだけで350ポンドくらいします。私が足のじん帯を少し傷つけて整形外科に通ったときも1,500ポンドくらい支払いました。保険でカバーされるとはいえ、恐ろしいです。

日本の健康保険って、なんて行き届いた制度なんでしょうね。いつまで続くかわかりませんが…。

やたらと渋滞

イギリスの街中は渋滞が多く見られます。原因としては朝夕のラッシュ時間、通勤だけでなくYear5以下の児童は親の送迎が必要(地域によって違うかもしれません)なため、通学のためにも車が混雑します。

ですが、一番の渋滞の原因はこれかもしれません。

日本と違い、工事の際に作業員が交通誘導をするようなことはイギリスではありません。すべて自動の信号機を設置して放置です。ある意味合理的かと思いますが、車の混雑状況に応じたフレキシブルな対応ができないため、一方の道に車がたまり続ける、といった状況も発生します。

また、1日の工事が終わった際に、相互通行可能なように道を戻して信号を撤去して、といったことはせず、そのまま放置して帰りますので工事をおこなっていないにも関わらず、信号に従って待ち続けなければなりません。これも合理的といえば合理的ですが、渋滞に巻き込まれる側の不経済も考えてほしいと思います。

車の運転が荒すぎる

車の運転が荒いのはイギリスに限ったことではないかも知れませんが、イギリスでも大変です。日本でも運転が荒い地域として挙げられる地域はありますが、比較になりません。

ウインカーを出さない、やたらとあおる、強引な割込み、車線変更・・事故に遭わないためには「かも知れない運転」が必須です。高速道路で走っていたら左車線前方にいる車が突然自分の車の前に車線変更してきて、かつブレーキをかけてくるような理由のわからない動きをすることもよく見ます。

一方で横断歩道(ゼブラクロッシング)では止まる車も多いですし、子供連れで道を渡ろうとすると譲ってくれる車も結構あります。感覚では5%位のドライバーがクレイジーで、それ以外はまともなのかもしれません。どう考えても、自分の車と他の車の相対速度がわかっていない人が運転しています。

駐車場厳しすぎ

道が狭い、というのに含まれるかもしれませんが駐車場の狭さが異常です。そもそも枠があっても枠どおりに停めない車も多く、隣の車と距離が近すぎで困ることも

これに加えて駐車料金を支払うのが面倒です。パーキングメーターのようなものでクレジットor現金で支払うことができるのですが、壊れていることがあります。スマートフォンのアプリで支払うこともできますが、この場合手数料を取ってくるので、パーキングメーターで支払うよりも高くなります。

また、スーパーの駐車場はある程度(2~3時間)駐車時間に余裕があるように見えますが、制限時間を過ぎて駐車していると、後日カメラの画像と共に80~100ポンドもの違法駐車の罰金の請求が来ます。駐車するにもビクビクしなければいけないのがイギリスです。

ちなみに路上駐車が一般的なイギリスでは縦列駐車のテクニックも非常に重要です。私には到底できないような狭い場所にもきれいに停められるスキルを持った方が多く、若いころからの経験が重要であることを感じます。

落ち着ける場所がない

日本だとカフェとかファーストフード店とか、図書館とか、落ち着ける場所が結構あるのですが、イギリスにいると落ち着ける場所があまりない気がします。これは個人差があるかもしれませんが、あまりきれいな場所が多くなく、あまり落ち着ける場所がない印象です。これはちょっと高めのカフェに行くとか、払うものを払えばそうでもないかもしれません。

遊べる時間がやたら少ない

サービスの質・量に関することになりますが、何かをしようと遊びに行った際に遊べる時間が少ないです。レゴランドのような1日過ごせるテーマパークは別として、プールやアイススケート、卓球などのアクティビティは時間できっちり管理されます。

日本だと1回遊びに行くと2~3時間くらいの時間遊べるイメージがありますが、イギリスでは1時間とか、長くても1時間半とか細かく区切られてしまいます。遊び足りなければ2回分の料金支払ってね、ということなのでしょうが商売上手というよりもアコギな感じしかしません。それでも遊べる場所が少ないため利用せざるを得ず、足元を見られている感じがします。

From〇〇£がほぼあてにならない

これは日本でも少しはあるかな・・というところですが、サーカスでFrom9ポンドと書いてあって、行ってみよう!とチケットカウンターに行ってみると一番安い席で15ポンド。9ポンドの席はどこ?と聞いてみると、NHSの医療サービス従事者の特別料金という説明でした。あと、Disabled(障がい者)の方の料金を最安値で表示していたり。

なんで全体向けのポスターとかに、特定の割引料金を載せるんでしょうね。会員にならないと料金さえ確認できないWebサイトと同様に、とりあえず安い料金で釣っておいて、見に来たら高い料金を示せばいいや、という開き直りを感じます。

会員登録しないと料金すら教えてくれない

クラブなどの囲い込みのためなのかもしれませんが、ジムやスポーツクラブなど、利用しようとした際にメールアドレスや住所など個人情報を登録しないと金額がわからないものが多いと感じます。会員登録をした結果、コストに見合わないため利用登録をしなくなることも多く、がっかりします。会員登録をしたのだからどうせ利用するでしょ?と足元を見てる感じなのが少し許せません。

道はデコボコだけど最高速度は時速96Km

田舎道、というかBから始まる道路は最高速度が時速60マイル(96Km)であるにもかかわらず、狭く、曲がりくねっていたり、場合によっては道路に陥没があったりと道路状況が良くないことが多いです。運転時には注意が必要であり時速60マイルも出さないことが賢明ですが、慣れたドライバーの方は後ろにぴったりくっついてきたりするので少し焦ります。それでもスピードは抑えた方が賢明であるとイギリスに来て3回パンクを経験してしまっている私は考えます。

ちなみにAとBから始まる道路の意味はこのようになっています。マイナーなB道路が特に要注意です。

  • A道路:地域内または地域間の大規模な交通リンクを提供することを目的とした主要道路
  • B道路:異なる地域を結ぶことを目的とし、A道路とネットワーク上の小規模な道路間の結ぶ道路

自転車が車道を普通に走る

日本でも自転車のマナーが問題になることはありますが、イギリスでは自転車に乗っている方が少ない反面、歩道を走れないため車道を堂々と走る自転車が多いです。

日本と違い路側帯のようなものがあるわけはないため、普通に車道の真ん中を走ったり、ロータリーなども普通に通っていきますので(先にロータリーに入った方が優先です)、正直邪魔に感じることが多いです。

ですが、一番怖いのはBから始まる番号の道路で、くねくねと曲がった道の途中に自転車がいることです。時速60マイルで走っていたらまずよけられません。曲がるときには常に自転車がいるものと思い運転していますが、自転車を運転する方も場所によっては十分気を付けた方がいいと思っています。

公道は罠だらけ!

公道を車で走っているといたるところにあるスピードカメラ。日本だと制限速度から時速10キロ以上オーバーすると罰則の対象になりますが、イギリスでは制限速度の10%を超過すると罰則の対象になります。

時速20マイル(32Km)の道路ですと、時速3Kmほどオーバーしただけでスピード違反になります。注意していないと即アウトになります。スピード違反の取り締まりの固定式カメラを回避すれば問題ないかというと、たまに移動式カメラでネズミ捕りのようなこともやっていますので油断はできません。

他にも、高速道路で赤い✕印のあるところを通るとか、道路に書いてある黄色のチェックの模様のところで停止するとか、そこまでの違反ですか??と思うような違反でも100ポンド(19,800円)単位の罰金を徴収して来ますので恐ろしいです。公道は罠だらけです。

行きはよいよい帰りは・・?

イギリスの歴史的な背景もあるかもしれませんが、一方通行がやたら多いです。碁盤目状の通りで一方通行が交互に通っている、というのであればいいのですがイギリスの場合ちょっと状況が異なります。いたるところに一方通行の道路が登場します。たとえばこちらの図はIKEA Wembleyに行くための行き方になりますが、IKEAに入るために入った交差点に戻ってくるためには大きく回ってこなければ戻ってこられません。どんな方法もないのです。これがよくあるのがイギリスです。

行き:交差点を渡るだけなので0.4マイルで到着

帰り:ぐるっと回って1.4マイル。3.5倍の道のりになりますこうしたこともあり、カーナビやナビゲーションアプリは必須です。私はWazeというアプリを使用していますが、事故や工事規制の情報なども豊富で便利です。

閉まらないドア、鍵

家の工事が杜撰、というのもよくある話ですね。私の住む家もまともにドアの締まる部屋の方が少ないです。風が吹くと自動的にドアが開いてしまいます。建付けの問題に加え、ノブも適当についているのでしっかりとはまらないです。

鍵もしっかりと閉まらない、開けづらいものが多いです。不動産の内見に行った際に不動産屋さんでさえうまく閉められなかったりしていました。開け方の問題ではなく、鍵そのものに問題があるのだと思います。

まとめ

 

以上、とりとめのない話になってしまいましたが、まとめてみたいと思います。

イギリスってこんな国

  •  冬が長く・暗く・寒く・湿っている
  • 道が狭い上に路上駐車だらけで苦戦
  • 暑さ対策なし!
  • 道が水であふれる
  • 修理はまともにいかない
  • 英語以外の言語をよく耳にする
  • サービスはしてもらうもの?
  • 医療費はタダだが予約が取れない
  • やたらと渋滞
  • 車の運転が荒すぎる
  • 駐車場厳しすぎ
  • 落ち着ける場所がない
  • 遊べる時間がやたら少ない
  • From〇〇£がほぼあてにならない
  • 会員登録しないと料金すら教えてくれない
  • 道はデコボコだけど最高速度は時速96Km
  • 自転車が車道を普通に走る
  • 公道は罠だらけ!
  • 行きはよいよい帰りは・・?
  • 閉まらないドア、鍵

あくまでも、個人の感想ですので、事実と異なる点があるかもしれないことはご了承ください。

ありがとうございました。

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ぷーた
ぷーたです!投資とポイント活動、ジョギングが趣味のロンドン駐在員です。お得活動のためには徹底的な調査と行動をしており、たくさんの方に情報を共有したいと思ってこのブログを立ち上げました。